2019年03月20日

「抽象化パワー」が身に付く遊び。抽象化とは、共通点を抽出して象形すること。

車に乗っている時、対向車線をくる車のナンバー。何気なく見るのではなく、「4ケタの4つの数字を瞬時に足し算してその合計を計算する」ということをよくやります。ある人から「車のナンバー、足し算すると脳にいいよ」と言われてから習慣になってしまいました。もう20年以上になりますか。

単純に足すのではなく、4つのうちの2つを足して切りのいいものにして残りを足していくとか、似たような3つを掛け算して余った分を引くとか・・いろいろテクニックがあります。次々とやってくる対向車のナンバーを見て、続けて20台くらいならどうってことはありません。

いつだったか、ボケ判定についてやるTVのバラエティー番組にこのナンバープレート足し算が紹介されていました。番組のなかで出てきたテストをやってみると、なんと全問正解! 何の気なしに始めていたことがこんな形で効果を実感できるとは・・とニンマリしたものです。

最近、これにもうひとつ加わったものがあります。
たとえば、道を歩いていて「信号」と「行先案内看板」が見えたら、この共通点を見つけて別の表現に置き換えるという遊び。この場合だったら、「高い位置に設置して人々に情報を送るものだな」といった具合ですね。

実はこの「遊び」、抽象化力を鍛えることにつながるものらしいことが分かりました。
「抽象化」というと「曖昧化」とイコールと捉えてしまう方が多い。よく打ち合わせの場で「抽象的でなく具体的にね」ということを言いますよね。しかし、抽象というのは「物事の共通部分を抽出して把握すること」です。一旦、抽象化してその上で具体へ説明していってこそ共感されるのだと思います。ですので、「抽象化」というのはとても重要なことなのです。

難しいことは兎も角としてですが、「共通点をみつけて別の表現に置き換える」という遊びは面白いのでお勧めです。「抽象化パワー」が結構身につくようです。
続きは回を改めて。 ではまた。

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2019年03月19日

「ソファ型」「会議室型」。これからの話を如何に実になる形にするかへの影響。

先日、あるミーティングのために某大企業のオフィスを訪問する機会がありました。応接室に通されると「お〜、さすが」・・・。フッカフッカのソファです。さらにテーブルには灰皿がある!

最近のTVドラマを見ていても、「来客応対」とか「打ち合わせ」のシーンの部屋は、殆どといっていいくらい会議室タイプになっています。私自身の経験でも、もうここ15年くらい前から、ソファの応接セットの部屋に通されたことは数えるほどでしたので、その某大手企業のオフィス訪問はある意味で「新鮮」でした。

応接ソファでは、どうしてもふんぞり返ったような姿勢になってしまいます。そして@昔話になりがちA自慢話になりがちB話が長くなりがち・・です。となれば、ビジネスでのミーティングでは「これからの話」を「如何に実になる形でするか」が大切ですので、応接ソファはちょっと不向きなように思います。他方、会議室タイプの部屋だとキチンとメモを取ることが可能になります。メモを取らなかったとしても、なんだか会話自体にシマリが出来るような雰囲気になるから不思議です。これが、昔ながらの応接ソファの部屋だと、そうはいきません。まずメモは取りにくい。また、こちらが資料を持って行ったとしても、キチンと目を通してもらいにくいような感じに成ってしまいがちです。

昔ながらの応接ソファの部屋では、「懇談」には向いているかもしれませんね。話し手がふんぞり返って長々と話をする・・そんな感じに。そういえば、警察がある事件を隠蔽するというドラマがありました。この舞台となるその県警本部のお偉いさんが集まって会議をする場所が、こうした応接セットだった。シマリがない雰囲気を醸し出す「演出」としては見事です。

「ソファでないと失礼になる」・・昔、ある上司からそう指摘・指導されたことを思い出しました。もう遥か昔のことになってしまいました。
・・ということで、久しぶりの「新鮮な体験」となったのでした。
ではまた。
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2019年03月17日

「議論の上手い人」の特徴。会議はなんらかの結論をもたらすものでありたい。

ビジネスの場において、「議論」「会議」は避けて通れません。そして、何らかの結論をもたらすものでなくてはならないものです。

しかし、せっかく「議論」をしたのに、参加者が「結局、この議論はなんだったの?」と感じてしまうようでは勿体ないこと。その場に「議論が上手い人」がいるといないで、結果は大きく違ったものになってしまいがちです。「下手な人ばかりの会議」に出席した場合、その終了後の徒労感は大きなものになってしまいます。

そこで「議論の上手い人」がリードする会議を思い起こしてみると・・。「議論の上手い人」は次のような特徴があるような気がします。
@「事実の確認」から議論をスタートさせる。
  思い込みや先入観を出来る限り排除しようと常に気を配る。
A「あるべき論」を振りかざさない。
 「あるべき論」で解決できないから議論をしているわけで、それを共有できるように誘導する。
B「議論の目的」を忘れない。
  いつの間にか当初の目的とは異なる話に花が咲いてしまわないように気を配っている。
C「議論する価値のあることだけ」議論する。
 「今日はこれが優先だよね」とか言って「議論の目的」外のものが話題にならないよう誘導する。

人は一人では大したことができません。いろいろな人が動き合ってこそ、事は成し遂げられるものです。そのためにも「議論の上手な進め方」は心がけたいと思うのです。
ではまた。
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2019年01月17日

ひと言の勇気。モヤモヤは持ち越さない。

ある人に駅でバッタリ遭遇しました。

実はその数週間前にも、すれ違いそうになったのですが、その時はちょっと距離があったということもあって、知らないふりをしてそのまま通り過ぎていたのです。
それが先日、偶然にも駅でバッタリ遭遇。お互いが認知し合う状況ですので、こちらもそのままというわけにはいきません。
「いや〜いつぞやはお世話になりました・・」と思いっきり明るく挨拶を投げかける私。
すると、向こうも「いや〜」といって挨拶を返してくれます。
それまでの溜まっていたものが一瞬にして溶けたような・・。一気にそんな気持ちになりました。
なんて気持ちがいいんだろう。

実は、あることがあってお手数をかけてしまった方でした。
それ以来、ず〜と気にはなっていたのですがわざわざ出向くのも・・と行動できないでいたのです。

バッタリだったとはいえ、声をかけてよかった。
ひと言の言葉は5秒とかからないものです。
お互い言うべき時に言える素直さと謙虚さを持ちたいものだと改めて思った「遭遇」でした。

ではまた。
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2018年10月19日

「2:3:5の法則」

世の中は、それぞれの立場や状況の違いがあり、さまざまな意見の持ち主で形成されています。
それをなんとかひとつの方向にまとめていくのは、なかなかの苦労がいるものです。
民主主義とはベストではないけれど、ベターの方法とはよくいったもので、100が100人ともに一致するというのは、まずないといってもいい。そこをまとめていくのが、リーダーの役割でもあります。

選挙結果などをみていて思うのは、その解釈は人それぞれということでしょうかね。
2人の得票結果が、60:50だった場合、勝者のことを「圧勝」とも言う選挙もあれば、敗者のことを「善戦した」と言う選挙もあって・・。それぞれに都合のいい解釈をするというものなのです。

どんな集団でも、どうしても共鳴してくれないという層は必ず存在するもの。反対に、ほぼ無条件で共鳴してくれる層もいるわけです。しかし、どちらにもつかず関心も薄いという層がいてこの層がどう動くかで流れは決まるというのも真理。

まず、どんな状況になっても心底見方をしてくれる人。家族とか、本当の親友、シンパとか・・。これって、比率で言うと全体を10として1〜2くらい。反対に、絶対に味方にならない、共鳴してくれないという人。こちらがどんなに合理的でも感情的、生理的に反対してくる人たちです。これは2〜3くらい。残りの5〜6は、大きな流れの中で味方になったり、敵対的になったりと流動的と思っておいた方がいい。したがって、このうちどれだけが賛同者・理解者になってくれるかがポイントとなってくるのです。

そのためには、まずコアになる「2」を固めておくことが重要です。ここがグラついたらどうしようもない。家族や親友を大切にしようと改めて思います。
あっ、それと「嫌な奴は一定程度いるものなのだ」と割り切ることが自分の気持ちを軽くさせるということなんですよね。他の人から見たら、その人はいい奴なのでしょうから・・。「2:3:5」の法則ということで。
ではまた。


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2018年06月07日

「40にして惑わず」といいますが・・。40代になってわかること。

 40歳前後の人に話を聞くと、やはり「40歳は人生の転機かな」と思います。
 自分自身を振り返っても「転機」と思える場面がありました。「ようやく自分のことがわかる歳」なのかもしれないです。「40にして惑わず」といいますが、自分のことがわかれば、惑うこともないはず。では、どのようなことが、その「わかる」ということなのか・・。いくつか挙げてみます。

●「会社の中で出世できるかどうか、ある程度見えてくる」
 40歳は、会社内での評価はほぼ固まってくる時期。平社員や課長に徹するか、それとも一念発起して独立するか、新天地を見つけるべく努力するか・・。40にもなれば、決めた方がいいのかも。
●「自分の苦手な事と得意なことがわかる」
 いまさら不得意なことに手を出しても卓越することができる可能性はかなり低くなる。若い時は、時間を投入することで克服できたことも、体力の低下で無理することもできなくなってきます。不得意なことは人と協力して、得意なことを伸ばすことを決めるという道を探した方がいい。
●「肩書ではなく、何をやったかが重要と知る」
 20代であれば「私は〇〇という会社で働いている」「リーダーになった」が自慢ともなります。それが、30代になると「実質的に成果を出しているのかどうか」、40代になれば「お前は何を成し遂げたのだ」と問われてくる。いつまでも所属する組織名を誇らしげに語るようでは「だから?」と小物扱いされけません。
●「『上には上がいる』と感じる」
 口には出さなくても、「こいつには勝てないな」という人が周りに出て来て、「上には上がいる」と感じ始めます。
●「『このまま逃げ切ろう』という派と『これからが本当のチャレンジ』という派が分かれる」
 「今まで身を粉にして働いてきたのだから、そろそろ楽がしたい」という人と、「今までの修業期間を活かして、もっと大きくなろう。もっと厳しい目標を立てよう」という志向になる人。どっちが幸せかはわからないけれど、それを選択する時かも。
●「結局、家族や友人が最も大切だと気づく」
 20代から働き始めて、仕事の中で知り合った人が40代になってもどれだけ関係が続いているだろうか?大半は「人生でたまたますれ違っただけ」と感じてきます。結局、自分の人生において「あまり調子の良くない時」を一緒に過ごすのは、家族であり本当の友人。それを疎かにすれば、ひとりで老いを迎えなければならない・・と「老い」を心の中で実感し始めてきます。
●「真の感謝を知る」
 「なんでこうなったかよく分からないけど、あの人も私と同じくらい努力していたのに、なぜか私だけ結果が出た」「たぶん、偶然だ。何かいたたまれない」という気持ちが生まれてきます。

 成功した人は、晩年になって「私は運がよかったんですよ」と、異口同音に言います。
40代になっても「努力したのは自分だ。自分は能力があったから」と言っているようでは、寂しい晩年が待っているのかもしれませんよね。そんなことを思いました。
ではまた。
posted by 発現マネジメント通信 at 12:02| 東京 ☁| Comment(0) | 節目 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年05月04日

「歳月を歩む」・・自分が思うより短いのが人生。自分が意味付けして生きる。

ここ一年ほどの間に、いろいろな年代の人から「相談」を持ちかけられました。
高校生の大学進学、大学新卒予定者の就活、ミドルの転職、ミドルの婚活、シニアの再就職・・など。

私が直接的に特段のことをして差し上げられるのも限られます。
ですから、聞き役になって、気持ちの整理、行動の手助けになればと・・。
結局、迷い事を解決するのは自分自身でしかできない。
人から押し付けられた解決策は、どこかで綻びが出てくるものです。
説得された解決策は、後悔のタネになりかねないですしね。
やはり、自分が苦しんで自分が納得して決める・・これが一番だと思うのです。
絶対的な正解はないし、正解は自分の考え方次第でもあります。

10代は、すべてが新鮮である。だから夢中で駆け抜ける。
20代は、自分の失敗を反省できるようになる。だから真剣に将来を考え始める。
30代は、やりたいことを追求している。そして人生の分かれ道を迎える。
40代は、重く厚い天井を近くに感じている。そして迷いながらも信じた道を突き進む。
50代は、究極の選択を常に突きつけられ、(無意識のうちに)残りの時間を意識して選択する。
60代は、‶あの時”の新鮮さが甦ってくる。だから自分を確立し始めることができる。
70代は、障害物さえ愉しめるようになる。心の欲するところに従えども矩をこえず。
80代は、ゆっくりと人生に感謝する。

どの世代もあっという間に過ぎてしまいます。
行きたいところがあれば行く。
会いたい人がいれば会う。
やりたいことがあるならやる。
自分が思うよりも短く、終わる時がいつなのかわからないのが人生ってものなのかと・・。
結局、自分が意味付けした通りの人生を生きていくのだと思います。
改めて、自分にも言い聞かせました。

ではまた。
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2018年03月28日

シンギュラリティと人間の生活の変化。「楽しい」とか「幸せ」を凌駕できる?

齋藤和紀という方の話を聞く機会がありました。同氏は『シンギュラリティ・ビジネス AI時代に勝ち残る企業と人の条件』の著者です。

シンギュラリティ(技術的特異点)とは、人工知能が発達し、人間の知性を超えることによって、人間の生活に大きな変化が起こるという概念のこと。人工知能の権威であるレイ・カーツワイルによって提唱された「未来予測の概念」であるらしい。

少なくとも2045年までには、人間と人工知能の能力が逆転するシンギュラリティに到達するとのこと。指数関数的に人工知能が進化するのだろうし、人類が予測できない域に達するのかもしれないですね。

その場において、「ロボットが剣玉の練習をやる」というシーンが動画で紹介されました。何回も失敗するのだけれど、70回目にして、玉がかするようになり、100回にして剣玉を乗せるのに成功。以後、絶対に失敗しない・・という内容には驚き。人間だったら、ここまでやれません。それは能力の問題ではなく、飽きてしまうからですね。しかし、ロボットは飽きません。ここのところが凄いとともに、ちょっと恐ろしく感じてしまいました。

人間が「楽しい」と感じるには、何かに「没頭している」とか「心地良い」といった側面が大きく影響すると思います。だからこそ、飽きてしまったり、疲れて嫌になったり・・がある。これが人間なんですよね・・。あと、30年で人工知能が人間を凌駕するとのことだけれど、「楽しい」とか「幸せ」を凌駕することは簡単ではないのですよ。

そんな感想を持ったひと時でした。

ではまた。

posted by 発現マネジメント通信 at 15:06| 東京 ☀| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする