2018年06月07日

「40にして惑わず」といいますが・・。40代になってわかること。

 40歳前後の人に話を聞くと、やはり「40歳は人生の転機かな」と思います。
 自分自身を振り返っても「転機」と思える場面がありました。「ようやく自分のことがわかる歳」なのかもしれないです。「40にして惑わず」といいますが、自分のことがわかれば、惑うこともないはず。では、どのようなことが、その「わかる」ということなのか・・。いくつか挙げてみます。

●「会社の中で出世できるかどうか、ある程度見えてくる」
 40歳は、会社内での評価はほぼ固まってくる時期。平社員や課長に徹するか、それとも一念発起して独立するか、新天地を見つけるべく努力するか・・。40にもなれば、決めた方がいいのかも。
●「自分の苦手な事と得意なことがわかる」
 いまさら不得意なことに手を出しても卓越することができる可能性はかなり低くなる。若い時は、時間を投入することで克服できたことも、体力の低下で無理することもできなくなってきます。不得意なことは人と協力して、得意なことを伸ばすことを決めるという道を探した方がいい。
●「肩書ではなく、何をやったかが重要と知る」
 20代であれば「私は〇〇という会社で働いている」「リーダーになった」が自慢ともなります。それが、30代になると「実質的に成果を出しているのかどうか」、40代になれば「お前は何を成し遂げたのだ」と問われてくる。いつまでも所属する組織名を誇らしげに語るようでは「だから?」と小物扱いされけません。
●「『上には上がいる』と感じる」
 口には出さなくても、「こいつには勝てないな」という人が周りに出て来て、「上には上がいる」と感じ始めます。
●「『このまま逃げ切ろう』という派と『これからが本当のチャレンジ』という派が分かれる」
 「今まで身を粉にして働いてきたのだから、そろそろ楽がしたい」という人と、「今までの修業期間を活かして、もっと大きくなろう。もっと厳しい目標を立てよう」という志向になる人。どっちが幸せかはわからないけれど、それを選択する時かも。
●「結局、家族や友人が最も大切だと気づく」
 20代から働き始めて、仕事の中で知り合った人が40代になってもどれだけ関係が続いているだろうか?大半は「人生でたまたますれ違っただけ」と感じてきます。結局、自分の人生において「あまり調子の良くない時」を一緒に過ごすのは、家族であり本当の友人。それを疎かにすれば、ひとりで老いを迎えなければならない・・と「老い」を心の中で実感し始めてきます。
●「真の感謝を知る」
 「なんでこうなったかよく分からないけど、あの人も私と同じくらい努力していたのに、なぜか私だけ結果が出た」「たぶん、偶然だ。何かいたたまれない」という気持ちが生まれてきます。

 成功した人は、晩年になって「私は運がよかったんですよ」と、異口同音に言います。
40代になっても「努力したのは自分だ。自分は能力があったから」と言っているようでは、寂しい晩年が待っているのかもしれませんよね。そんなことを思いました。
ではまた。
posted by 発現マネジメント通信 at 12:02| 東京 ☁| Comment(0) | 節目 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年05月04日

「歳月を歩む」・・自分が思うより短いのが人生。自分が意味付けして生きる。

ここ一年ほどの間に、いろいろな年代の人から「相談」を持ちかけられました。
高校生の大学進学、大学新卒予定者の就活、ミドルの転職、ミドルの婚活、シニアの再就職・・など。

私が直接的に特段のことをして差し上げられるのも限られます。
ですから、聞き役になって、気持ちの整理、行動の手助けになればと・・。
結局、迷い事を解決するのは自分自身でしかできない。
人から押し付けられた解決策は、どこかで綻びが出てくるものです。
説得された解決策は、後悔のタネになりかねないですしね。
やはり、自分が苦しんで自分が納得して決める・・これが一番だと思うのです。
絶対的な正解はないし、正解は自分の考え方次第でもあります。

10代は、すべてが新鮮である。だから夢中で駆け抜ける。
20代は、自分の失敗を反省できるようになる。だから真剣に将来を考え始める。
30代は、やりたいことを追求している。そして人生の分かれ道を迎える。
40代は、重く厚い天井を近くに感じている。そして迷いながらも信じた道を突き進む。
50代は、究極の選択を常に突きつけられ、(無意識のうちに)残りの時間を意識して選択する。
60代は、‶あの時”の新鮮さが甦ってくる。だから自分を確立し始めることができる。
70代は、障害物さえ愉しめるようになる。心の欲するところに従えども矩をこえず。
80代は、ゆっくりと人生に感謝する。

どの世代もあっという間に過ぎてしまいます。
行きたいところがあれば行く。
会いたい人がいれば会う。
やりたいことがあるならやる。
自分が思うよりも短く、終わる時がいつなのかわからないのが人生ってものなのかと・・。
結局、自分が意味付けした通りの人生を生きていくのだと思います。
改めて、自分にも言い聞かせました。

ではまた。
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2016年12月22日

「転機の40歳」になってわかること。40にして・・・

40歳前後の人と話をしていると、「40歳は人生の転機なのだ」と思うことがよくあります。

「厄年」とは、「そういうことも考えなさいよ」というシグナルなのかも。

で、その「『転機の40歳』になって分かること」をツラツラと並べてみると・・・。

 1.職場の中で「出世ができるかどうか」が、ある程度見える。

 2.自分の「苦手なこと」と「得意なこと」がわかる。

 3.「肩書ではなく、何をやったかだ」と知る。

 4.「上には上がいる」と感じる。

 5.「このまま逃げ切ろう」派と「これからが本当のチャレンジ」派に分かれる。

 6.「結局、家族や友人が最も大事だ」と気づく。

 7.「努力の意味」をようやく知る。

 8.「真の感謝」を知る。

でも、これはその時になって初めて気づくものでもあります。振り返ると、私もそうでした・・。


ではまた。

posted by 発現マネジメント通信 at 16:00| 東京 ☁| 節目 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年03月17日

「人の振りみて我が振り直せ」・・・人生の「節」を活かす。「節」の少ない人は、案外弱い。

10年程前の事です。いわゆる「ヤメ検」といわれる弁護士の先生に、直接お会いする機会がありました。東京地検特捜部でご活躍されていたことのある方です。

その先生の話によれば、「大企業のトップとかを取り調べると、案外簡単に落ちる。つまり、比較的短時間でスラスラと自供に転じるケースが多い」というのです。反対に、「いろいろ社会の裏側を知っているような“波乱万丈の人”は、なかなか落ちない」のだそうです。つまり、純粋にそして順調に登って行ったエリート程、そうした極限の場に置かれると弱いらしい。

確かに、それはそう言われると、そうかもしれないような気がします。順風満帆の人生を送っていると、なかなか自分を振り返ったり、自分の立ち位置を考えたり、他人の良いところや悪いところを分析したり・・・。そんな機会が少ないからなのかもしれません。反対に、左遷されたり、トンデモない失敗の経験を経て、「七転び八起き」のように立ち上がった人は強いように思います。

順調に行っている時というのは、「忙しい、忙しい」と口にしてばかりだったり、「自分はこんなに頑張っているのに、周りは・・・ったく」思う日々を過ごしている内に、いつの間にか年月が経っていて・・というような気がします。すると、周りの声も聞こえなくなって来がちになって・・・。自分の現在の置かれている状況やこれまでの積み重ねの経緯も忘れてしまう・・。

ところが、左遷されたり、失敗したりする時というのは、落ち込んでしまいますが、いろいろ考える。「なんでこうなったんだろう」「自分はバカだった」「周りの状況は、こんなだったんだ・・」といった具合にね。

植物でもそうです。すらっと伸びた木よりも、竹のように節のある方が強風に耐えています。シタタカで逞しい。かといって、わざわざトンデモない失敗はしたくありませんし、左遷は無いに越したことはない。やはり、自分を確立させるにあたって、自分だけで考えるのではなく、いろいろな人を見てみる・・。「人の振り見て我が振り直せ」といいます。また、これは、自分だけでもできます。「現在の自分」だけを見ているのではなく、「過去の自分」、そして「将来を展望した自分」という“3人”で会話をしてみるのもいいような気がします。

まもなく、今年も早、春分を迎えます。昔から「二十四節季」といって、時の流れに区切りを付けてきたのもそういう智恵のひとつかもしれません。春分は「春の最中、昼夜半々」の節。春分の日は、「自然を称え、将来のために努力する日」とされています。
ではまた。
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2015年12月27日

年末にあたって、来年のカレンダーは? 暦にみる先人からの知恵。

今年も押し迫ってしまいました。
大晦日を境に新年になりますが、だからといって毎日の営みに変化が出るものでもありません。毎日が続きます。しかし、歴とか節とかはこの日常にメリハリがつくということからも、重要な意味があるのだと思います。
そういうことで、年末は、「来年のカレンダーをどれに・・・」などと、思案する頃でもあります。

そんなことを思っていたら、「カレンダーに六曜が記されているのはケシカラン」というニュースが報じられておりました。某県が、県や県下の市町村でつくる団体が発行した2016年のカレンダーに「先勝」「友引」「先負」「仏滅」「大安」「赤口」といった「六曜」が記載されていたことから、同カレンダーを回収することにしたらしい。理由は、「六曜は科学的な根拠がなく、公的な刊行物に掲載するのは不適切」からなのだとか。???

ことの経緯の詳細を知りませんから、余計なことかもしれませんが、「なんだかな〜」と思ってしまいました。
暦には、古代からいろいろなものがあります。すべて、経験則からの積み重ねです。問題になった「六曜」のほかには、以下のようなものがあります。

七曜:月・火・水・木・金・土・日
九星:一白・二黒・三碧・四緑・五黄・六白・七赤・八泊・九紫
二十七宿(二十八宿):角・亢・氐・房・心・尾・箕・斗・女・虚・危・室・壁・奎・婁・胃・昴・畢・觜・参・井・鬼・柳・星・張・翼・軫
さらにいえば、十二支があります。十二支といえば、「○年」というように、年のイメージが強いですよね。しかし、月にもそして、毎日毎日の日にも実は、子・丑・寅・卯・辰・巳・午・未・申・酉・戌・亥がついているのです。

世の中、全て“科学的”で解決できれば世話はありません。科学が入り込めて、解明できているのなんか、この世界のホンの何割かしかないはずです。そもそも人間の構造だって、科学的に解明されつくしてはいません。

何でもが、「○か×か」といった二択ではないのです。だから、面白いのですけどね。古来からの智恵の蓄積は案外無視できないもの・・。そんなことを考えるのも、年末からお正月にかけてのこの節目は、いい機会だと改めて思うのです。
ではまた。

posted by 発現マネジメント通信 at 15:00| 東京 ☁| Comment(0) | 節目 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする