2019年01月17日

ひと言の勇気。モヤモヤは持ち越さない。

ある人に駅でバッタリ遭遇しました。

実はその数週間前にも、すれ違いそうになったのですが、その時はちょっと距離があったということもあって、知らないふりをしてそのまま通り過ぎていたのです。
それが先日、偶然にも駅でバッタリ遭遇。お互いが認知し合う状況ですので、こちらもそのままというわけにはいきません。
「いや〜いつぞやはお世話になりました・・」と思いっきり明るく挨拶を投げかける私。
すると、向こうも「いや〜」といって挨拶を返してくれます。
それまでの溜まっていたものが一瞬にして溶けたような・・。一気にそんな気持ちになりました。
なんて気持ちがいいんだろう。

実は、あることがあってお手数をかけてしまった方でした。
それ以来、ず〜と気にはなっていたのですがわざわざ出向くのも・・と行動できないでいたのです。

バッタリだったとはいえ、声をかけてよかった。
ひと言の言葉は5秒とかからないものです。
お互い言うべき時に言える素直さと謙虚さを持ちたいものだと改めて思った「遭遇」でした。

ではまた。
posted by 発現マネジメント通信 at 17:49| 東京 ☀| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年10月19日

「2:3:5の法則」

世の中は、それぞれの立場や状況の違いがあり、さまざまな意見の持ち主で形成されています。
それをなんとかひとつの方向にまとめていくのは、なかなかの苦労がいるものです。
民主主義とはベストではないけれど、ベターの方法とはよくいったもので、100が100人ともに一致するというのは、まずないといってもいい。そこをまとめていくのが、リーダーの役割でもあります。

選挙結果などをみていて思うのは、その解釈は人それぞれということでしょうかね。
2人の得票結果が、60:50だった場合、勝者のことを「圧勝」とも言う選挙もあれば、敗者のことを「善戦した」と言う選挙もあって・・。それぞれに都合のいい解釈をするというものなのです。

どんな集団でも、どうしても共鳴してくれないという層は必ず存在するもの。反対に、ほぼ無条件で共鳴してくれる層もいるわけです。しかし、どちらにもつかず関心も薄いという層がいてこの層がどう動くかで流れは決まるというのも真理。

まず、どんな状況になっても心底見方をしてくれる人。家族とか、本当の親友、シンパとか・・。これって、比率で言うと全体を10として1〜2くらい。反対に、絶対に味方にならない、共鳴してくれないという人。こちらがどんなに合理的でも感情的、生理的に反対してくる人たちです。これは2〜3くらい。残りの5〜6は、大きな流れの中で味方になったり、敵対的になったりと流動的と思っておいた方がいい。したがって、このうちどれだけが賛同者・理解者になってくれるかがポイントとなってくるのです。

そのためには、まずコアになる「2」を固めておくことが重要です。ここがグラついたらどうしようもない。家族や親友を大切にしようと改めて思います。
あっ、それと「嫌な奴は一定程度いるものなのだ」と割り切ることが自分の気持ちを軽くさせるということなんですよね。他の人から見たら、その人はいい奴なのでしょうから・・。「2:3:5」の法則ということで。
ではまた。


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2018年06月07日

「40にして惑わず」といいますが・・。40代になってわかること。

 40歳前後の人に話を聞くと、やはり「40歳は人生の転機かな」と思います。
 自分自身を振り返っても「転機」と思える場面がありました。「ようやく自分のことがわかる歳」なのかもしれないです。「40にして惑わず」といいますが、自分のことがわかれば、惑うこともないはず。では、どのようなことが、その「わかる」ということなのか・・。いくつか挙げてみます。

●「会社の中で出世できるかどうか、ある程度見えてくる」
 40歳は、会社内での評価はほぼ固まってくる時期。平社員や課長に徹するか、それとも一念発起して独立するか、新天地を見つけるべく努力するか・・。40にもなれば、決めた方がいいのかも。
●「自分の苦手な事と得意なことがわかる」
 いまさら不得意なことに手を出しても卓越することができる可能性はかなり低くなる。若い時は、時間を投入することで克服できたことも、体力の低下で無理することもできなくなってきます。不得意なことは人と協力して、得意なことを伸ばすことを決めるという道を探した方がいい。
●「肩書ではなく、何をやったかが重要と知る」
 20代であれば「私は〇〇という会社で働いている」「リーダーになった」が自慢ともなります。それが、30代になると「実質的に成果を出しているのかどうか」、40代になれば「お前は何を成し遂げたのだ」と問われてくる。いつまでも所属する組織名を誇らしげに語るようでは「だから?」と小物扱いされけません。
●「『上には上がいる』と感じる」
 口には出さなくても、「こいつには勝てないな」という人が周りに出て来て、「上には上がいる」と感じ始めます。
●「『このまま逃げ切ろう』という派と『これからが本当のチャレンジ』という派が分かれる」
 「今まで身を粉にして働いてきたのだから、そろそろ楽がしたい」という人と、「今までの修業期間を活かして、もっと大きくなろう。もっと厳しい目標を立てよう」という志向になる人。どっちが幸せかはわからないけれど、それを選択する時かも。
●「結局、家族や友人が最も大切だと気づく」
 20代から働き始めて、仕事の中で知り合った人が40代になってもどれだけ関係が続いているだろうか?大半は「人生でたまたますれ違っただけ」と感じてきます。結局、自分の人生において「あまり調子の良くない時」を一緒に過ごすのは、家族であり本当の友人。それを疎かにすれば、ひとりで老いを迎えなければならない・・と「老い」を心の中で実感し始めてきます。
●「真の感謝を知る」
 「なんでこうなったかよく分からないけど、あの人も私と同じくらい努力していたのに、なぜか私だけ結果が出た」「たぶん、偶然だ。何かいたたまれない」という気持ちが生まれてきます。

 成功した人は、晩年になって「私は運がよかったんですよ」と、異口同音に言います。
40代になっても「努力したのは自分だ。自分は能力があったから」と言っているようでは、寂しい晩年が待っているのかもしれませんよね。そんなことを思いました。
ではまた。
posted by 発現マネジメント通信 at 12:02| 東京 ☁| Comment(0) | 節目 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年05月04日

「歳月を歩む」・・自分が思うより短いのが人生。自分が意味付けして生きる。

ここ一年ほどの間に、いろいろな年代の人から「相談」を持ちかけられました。
高校生の大学進学、大学新卒予定者の就活、ミドルの転職、ミドルの婚活、シニアの再就職・・など。

私が直接的に特段のことをして差し上げられるのも限られます。
ですから、聞き役になって、気持ちの整理、行動の手助けになればと・・。
結局、迷い事を解決するのは自分自身でしかできない。
人から押し付けられた解決策は、どこかで綻びが出てくるものです。
説得された解決策は、後悔のタネになりかねないですしね。
やはり、自分が苦しんで自分が納得して決める・・これが一番だと思うのです。
絶対的な正解はないし、正解は自分の考え方次第でもあります。

10代は、すべてが新鮮である。だから夢中で駆け抜ける。
20代は、自分の失敗を反省できるようになる。だから真剣に将来を考え始める。
30代は、やりたいことを追求している。そして人生の分かれ道を迎える。
40代は、重く厚い天井を近くに感じている。そして迷いながらも信じた道を突き進む。
50代は、究極の選択を常に突きつけられ、(無意識のうちに)残りの時間を意識して選択する。
60代は、‶あの時”の新鮮さが甦ってくる。だから自分を確立し始めることができる。
70代は、障害物さえ愉しめるようになる。心の欲するところに従えども矩をこえず。
80代は、ゆっくりと人生に感謝する。

どの世代もあっという間に過ぎてしまいます。
行きたいところがあれば行く。
会いたい人がいれば会う。
やりたいことがあるならやる。
自分が思うよりも短く、終わる時がいつなのかわからないのが人生ってものなのかと・・。
結局、自分が意味付けした通りの人生を生きていくのだと思います。
改めて、自分にも言い聞かせました。

ではまた。
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2018年03月28日

シンギュラリティと人間の生活の変化。「楽しい」とか「幸せ」を凌駕できる?

齋藤和紀という方の話を聞く機会がありました。同氏は『シンギュラリティ・ビジネス AI時代に勝ち残る企業と人の条件』の著者です。

シンギュラリティ(技術的特異点)とは、人工知能が発達し、人間の知性を超えることによって、人間の生活に大きな変化が起こるという概念のこと。人工知能の権威であるレイ・カーツワイルによって提唱された「未来予測の概念」であるらしい。

少なくとも2045年までには、人間と人工知能の能力が逆転するシンギュラリティに到達するとのこと。指数関数的に人工知能が進化するのだろうし、人類が予測できない域に達するのかもしれないですね。

その場において、「ロボットが剣玉の練習をやる」というシーンが動画で紹介されました。何回も失敗するのだけれど、70回目にして、玉がかするようになり、100回にして剣玉を乗せるのに成功。以後、絶対に失敗しない・・という内容には驚き。人間だったら、ここまでやれません。それは能力の問題ではなく、飽きてしまうからですね。しかし、ロボットは飽きません。ここのところが凄いとともに、ちょっと恐ろしく感じてしまいました。

人間が「楽しい」と感じるには、何かに「没頭している」とか「心地良い」といった側面が大きく影響すると思います。だからこそ、飽きてしまったり、疲れて嫌になったり・・がある。これが人間なんですよね・・。あと、30年で人工知能が人間を凌駕するとのことだけれど、「楽しい」とか「幸せ」を凌駕することは簡単ではないのですよ。

そんな感想を持ったひと時でした。

ではまた。

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2018年03月21日

「忖度」って、どういう意味でしたっけ?

「忖度」---。
すっかり、流行語になってしまった感じです。でも、これってそんなに悪い意味なんでしたっけ?

web辞書で調べてみると、そもそもこの言葉の歴史は古く、古代中国に由来するらしい。意味としては『他人の心を推し量ること』であり、例えば『相手の心中を忖度する』のような使われ方をするのが本来の意味なのだそうです。

ある意味、コミュニケーションの重要な要素のひとつでもありますよね。組織で仕事をしていて、それこそ「忖度」が出来ない人は、「気が利かない奴」「頭が固い」「面倒な奴」とか陰で言われているはずです。

上司に対しては、先回りして準備をしておく。そして、「お〜さすがだな」と言ってもらいたいのが人情。「こんなこともあろうかと・・・」なんて言えたら、カッコいい。もちろん、「これは先回りし過ぎた」「ちょっと早とちりだった」と思えば、黙って自分の中に仕舞っておけばいいだけです。それと・・、犯罪につながるようなものがダメなのは、言わずもがなです。

木下藤吉郎なんか、「忖度」の塊みたいなところが大いにあったのでしょうし・・。それがダメだというんだから、「どうしたらいいのかしら」と思ってしまいます。まあ、世の賢明なビジネスパーソン、官僚の方々は、とっくにこんなこと分っているんだろうと思いますが・・。

なお、家庭内、とくに夫婦間において、この「忖度」はとても大切です。(笑)

ではまた。  

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2018年03月20日

「上向き」「下向き」ポーズの使い分け。「クリエイティブ追求」か「論理追求」か。

京都に「哲学の道」という名所があります。
高名な哲学者・西田幾太郎が、朝ここを散歩しながら、思索にふけったという場所。私も好きな場所のひとつで、京都に行った時、立ち寄ることがよくあります。ここをゆっくりゆっくり歩くと、なんだか頭がクリアになってくるような気がするから不思議です。

悩み事があったり、思索にふけったり、解決策を考えたり・・こういう時って、下を向いてうつむき加減に歩いていることが多いはずです。きっと、西田幾太郎先生も、下を向いて散策していたんでしょうね。反対に、「明日のデートはどこに行こうかな」とか、「明日は、いよいよ楽しみにしていた観劇の日。どんな感じかな」とかといった心理状況の時は、上向きの姿勢で歩いているような気がします。

「君ね、自分はダメって本気で思ったことないでしょ?人はね、自分って駄目だなと本気で思えた時に初めて成長するんだよ」と、昔ある人から言われたことがありました。実は、その時いささか面倒な問題が発生したのですが、私の表情が深刻な顔になっていなかったらしく、むしろ口角が上がっていたというのです。私は「そうだな」と思ったので、「では落ち込んでみよう・・」と思い、自分の席に戻る時、少し遠回りをして思いっきり下を向いてゆっくり廊下を歩いてみました。落ち込みのポーズです。すると、形から入ったのですが、本当に落ち込んだ気分になってきて、その延長線上でどこが問題だったかが見えてきたような気がしてきたのです。

どうやら、人は下を向いてネガティブな感情になって悩んでいる時は、物事を論理的に整理しようとするらしい。反対に、ポジティブな時は、必ずしも論理的ではないかもしれなくても、クリエイティブなことが考えられるように思います。

だとすると、状況によってこの使い分けをうまくすることができれば、楽しいのではないか・・。
悩んだ時は、堂々と下を向いて思い悩む、思索にふける。嬉しくしたい時や、本当に嬉しい時は、堂々とスキップでもしながら上向きに歩く。ということかと。

ではまた。
posted by 発現マネジメント通信 at 18:44| 東京 ☔| 生き方 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年03月08日

「自分の評価」は、「他人からの評価」と違うもの。妥当な水準とは・・

大リーグで活躍するイチロー選手。古巣のマリナーズにてプレーすることになったことが伝えられ、あわせてその年俸が話題になっているようです。人様の収入をあれこれ言っても、「だからどうって?」ってことなのですが・・。

当初は、大リーグの最低年俸54万5千ドル(5800万円)の水準と言われていたのが、どうやら75万ドル(8000万円)。ただし、出来高払いを含めると125万ドル(1億3300万円)、昨季と同じ実績なら200万ドル(2億1000万円)になる計算、と伝わってきました(スポーツニッポン)。

イチロー選手の年俸の最盛期は、2008年〜2012年で、1700万ドル(18億円)でした。その頃に比べれば、大きく減少したものです。どんなに優れた選手でも、寄る年波というのは避けられない。野球選手としては、明らかにピークは過ぎているはずです。ですから、金額だけでいえばそういうものなのだと思います。それでも、イチロー選手は44歳になったいまでも、乞われて大リーグで現役を張れるのですから凄い。

一世を風靡したものの、ある時からピタッとオッファが来なくなっていつの間にか、世の中から忘れられていく、元大女優とか大歌手だった方は沢山います。それは、ピークだった頃の栄光が忘れられず、「私のギャラは〇〇だった!」と昔の水準から下げられないことが大きな要因のひとつなんだそうです。

元大女優だったIさんが、どこかのインタビュー番組で語っていたのを聞いたことがあります。このIさん「そんなの過去の自分。その実績は自信として持っていればいいだけ。だけど、いまの自分では昔のようなギャラではどこからも声がかからなくなるのよ。だから、金額にはこだわらないの。昔に比べれば、はるかに安いけど、役をいただき続けるには、自分の相場を知らなくっちゃね」とおっしゃっていました。実際に、その後も沢山のレギュラー番組にお出になっていました。しかし、ギャラは案外に安かったのでしょうね。

誰でも、自分の評価は、甘めになるという傾向があります。自分が「ちょうどいいギャラ」と思うのは、世間から見たら実は「ちょっと高目」。自分が「上手いこといった。ちょっともらい過ぎかな」と思う場合は、世間から見たら「高過ぎ!」と見られているのです。ちょっと失敗でもしようものなら、「あんなに高い報酬取っておきながらなんなんだよ!」と思われかねない。反対に少な目の報酬の場合に、大きな成果を上げると・・「あの報酬でがんばってくれてるんだね。ちょっと申し訳ないくらいだね」となる。ということは、自分で「ちょっと少ないな・・」と感じるくらいが、実は「妥当な水準」ということになるのだと思います。

やはり、塩分とお酒と報酬は、自己評価水準よりちょっと控え目がいい。その方が、こちら側がちょっとだけ気分的にも優位になるような・・。イチロー選手の年俸に関する報道を聞いていて、(そもそも水準の桁が我々とは違い過ぎですが)、こんなことを思いました。
ではまた。
posted by 発現マネジメント通信 at 17:07| 東京 ☔| 生き方 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする